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高松高等裁判所 昭和63年(ラ)90号 決定 1989年2月20日

抗告人

甲野一郎

抗告人

甲野花子

右抗告人ら代理人弁護士

村上昭子

事件本人(養子となる者)

甲野二郎昭和五六年六月六日生

事件本人(養子となる者の父)

乙川春夫昭和三八年九月二二日生

事件本人(養子となる者の母)

乙川夏子昭和三九年一二月六日生

主文

本件抗告を棄却する。

理由

第一抗告の趣旨及び理由

一抗告人らは「原審判を取り消し、本件を松山家庭裁判所今治支部へ差し戻す。」との裁判を求めた。

二抗告人らのいう「抗告の理由」は別紙記載のとおりである。

第二当裁判所の判断

一特別養子縁組成立を求める申立ての実情

一件記録によると、右申立ての実情として次の事実が認められる。

1  抗告人両名は、昭和三九年一月二八日婚姻し、同年一二月六日長女である事件本人夏子(以下「夏子」という。)をもうけた。抗告人一郎(昭和一一年五月二八日生)は中学卒業後洋服仕立業に従事し、婚姻後は抗告人花子(昭和一七年一二月一八日生)の協力を得てその仕事を続けたが、昭和五〇年ごろ洋服仕立業に見切をつけて廃業し、以後○○メッキに勤務して月収二六万円位を得ている。抗告人花子は前記廃業後も、縫製の仕事に従事していたが、事件本人二郎(以下「二郎」という。)の出生後は退職している。抗告人一郎は肩書住所地の土地(四五坪位)と二階建居宅(床面積二八坪位)を所有し、抗告人両名は心身ともに健康である。

2  事件本人春夫(以下「春夫」という。)は、高校再受験のため進学塾に通っていて、当時中学三年生であった夏子と知り合い、両名は同じ高校へ進学して親密な交際をするうち、夏子が春夫の子を懐妊したが、夏子は抗告人花子に叱かられるのを恐れて、抗告人らには右妊娠を隠し通した。一方、春夫は、夏子から妊娠を知らされ、何とか出産を断念させたいとも考えたが、どうすることもできないまま空しく月日が流れた。

3  やがて、夏子は昭和五六年六月六日二郎を出産した。二郎は、未熟児であったため一か月足らず病院で過ごした後、愛媛県北條市の抗告人花子の妹宅で同抗告人により同年九月初旬まで養育された。抗告人花子は、その後二郎を連れて肩書住所地の自宅に戻り、近隣の人にも自己が二郎を出産したと告げた。夏子の妊娠と出産は、高校の関係者には知られなかったので、夏子は二週間学校を休んだ後高校生活を続け、春夫は同年六月一五日二郎を認知した。このころ春夫は、子供も生まれたことだし、将来夏子と結婚しようという気持ちであった。

4  春夫と夏子は高校卒業後間もない昭和五八年五月六日婚姻を届出し、抗告人両名は、同日春夫と夏子の代諾により二郎を養子とする養子縁組の届出をした。このころになると、春夫は夏子と一緒に生活をしようとする気持が薄れてきていた。一方、夏子は、状況によっては春夫との婚姻生活をしようとの気持であった。しかし、結局、春夫と夏子は婚姻後も同居まではすることなく、次第に会うことも少なくなった。春夫は、高校卒業後、食品会社、製菓会社に勤務した後、現在は電機会社の工員として働き、その月収は一二万円くらいであるが、ローンの支払などもあって手取りは月五万円くらいしか残らず、みるべき資産はない。春夫の父乙川秋夫(昭和一五年九月九日生)はタオル工場に勤務し、母冬子(昭和一九年一月六日生)はフェリー船の売店々員として稼働しており、春夫は、右父母及び事務員として働いている妹の四人で肩書住所の借家に居住している。一方、夏子は、高校卒業後すぐ就職し、現在クリーニング店の店員として勤務し、月収八万円ほど得ているが格別の資産はない。夏子は、抗告人らと同じ住所で二郎とも抗告人らの世帯の一員として生活し、今後も当分この同居を続けるつもりであり、婚姻後も実家の氏である「甲野」を通称として使用している。

5  春夫と夏子は、現在は夫婦として共同生活を営む気持はなく、また、ほとんど会っていないし、離婚して他の者と再婚することも考えており、両名とも二郎の本件特別養子縁組に同意している。二郎は、出生直後から抗告人らによって愛育され、現在に至っている。二郎は、現在小学校一年生であるが、これまで伸び伸びと生長し、抗告人らを実親と、夏子を姉と思っている。春夫は婚姻後二郎とほとんど交渉がなく、自己の両親に言われて二郎に会いに行く程度であったが、次第にそれも疎遠となり、昭和六一年末にクリスマス・プレゼントの玩具を届けた後は、二郎と会うことも途絶えている。春夫は、二郎の養育費を出したことがないし、今後二郎を養育する意思もない。夏子も二郎を養育する意思はなく、抗告人らに引き続き養育してもらいたいと思っている。

二抗告の理由3及び4について

右各抗告の理由は、要するに、原審判の判示は、本件特別養子縁組の成立を認めるべき要保護性の認定判断を誤っている。本件の場合、普通養子縁組成立当時の事情を基準にして考えると、実父母による二郎の監護は、著しく困難であったというべきであり、これと異なる原審判は、事実誤認ないし民法八一七条の七の解釈適用を誤り、又は新立法の趣旨に逆行する違法があるから取消しをまぬがれないというのである。

思うに、我が民法の特別養子制度は、昭和六三年一月一日から既存の普通養子制度と並んで、併存的に施行されたものであるから、特別養子縁組の成否を判定するにあたっては、当該ケースにおいて、実親子関係の断絶や、離縁が原則として認められない(民法八一七条の九、八一七条の一〇)という特別の法律的効果の与えられることが、その事案において「子の利益のために特に必要がある」とする事情(民法八一七条の七)が認められない限り、特別養子縁組を成立させることはできないと解するのが相当である。

これを本件についてみるのに、二郎は、抗告人両名の協力により、出生直後から丹精こめて監護養育されて、原審申立時にすでに六歳児に成長しており、この監護状態は特別養子縁組が成立することによっても、基本的に変わらないことが認められるのであるから、特別養子縁組の成立が子の利益のために特に必要がある場合に当たらないことは明らかである。

もっとも、本件の場合、抗告人らが普通養子縁組を届出した時点では、特別養子縁組が法制上認められていなかったので、抗告人らが特別養子縁組を選択することは法律上不可能であったのであるから、かような場合には、普通養子縁組届出の時点で、特別養子縁組の成立が「子の利益のために特に必要がある」ときは特別養子縁組を成立させることも許される余地がある。しかしながら、本件の場合、普通養子縁組が届出された当時、父・母である春夫と夏子は婚姻届出をしているし、春夫も二郎との面接に行っているし、夏子も将来春夫との実質的婚姻生活をする意思があり、春夫、夏子の両名とも高校を卒業して就職し、ある程度の収入を得ていたのであるから、父母による二郎の監護が著しく困難であるとはとうていいえないし、春夫、夏子による監護が不適当であるというべき事情も認めることができず、他に特別養子縁組を成立させるべき特別の必要があることは認め難い。

以上のとおり本件特別養子縁組成立に関し民法八一七条の七所定の要件は認められないから、これと異なる見解に立つ抗告の理由3、4は、いずれも採用できない。

三むすび

その他記録を精査しても、原審判に違法のかどは見出すことができないので、本件抗告は棄却するよりほかはない。よって、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官柳澤千昭 裁判官滝口功 裁判官市村陽典)

別紙抗告の理由

1 抗告人らは、原審判記載の申立ての実情の下に事件本人二郎を出生直後から養育し、今日に至っている。

2 その養育状況は、血縁地縁者を含む周囲の者及び事件本人二郎に対し、抗告人甲野花子の実子であることを当然の前提として、育ててきたものである。

3 原審却下理由は、本件のように特別養子制度新設以前に普通養子縁組が先行している場合、普通養子縁組当時並びに現時点において、特別養子縁組制度の要件が具備されなければならないとし、本件においては、普通養子縁組当時は、実親らが事件本人を養育する可能性が全く無かったといえないので、要件をみたさないとしている。

しかしながら、特別養子縁組制度の申立てについて、たまたま制度新設前に普通養子縁組をしていたからといって、双方の申立時点ともに特別養子縁組みの要件具備を要求することは、特別養子縁組の要件が、結果的に加重されることとなり不当である。

また、本件の場合、普通養子縁組当時の事情を基準にしても、事件本人二郎の実父母による監護は、著しく困難であったといえると認めるべきである。

4 更に実母である夏子との実親子関係が終了しても、姉弟としての関係が続き、しかも、事件本人二郎との同居が続くのであれば、親子関係を終了させる必要はないとするが、姉として同居していた人が、実は戸籍上も親であるか、戸籍上は姉にすぎないかは、今後の事件本人二郎の成長過程における心理面に多大な影響をもたらすことは必至であり、戸籍の記載如何による事件関係者らの社会生活上の影響を率直に認めて制度を新設した本条の立法趣旨にも逆行する解釈といわざるを得ない。

従って抗告の趣旨どおりの裁判を求める。

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